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コミック「7人のシェイクスピア」にリュート登場 [愛しのリュート達]


ヤングマガジンにて連載が始まった「7人のシェイクスピア」(ハロルド作石)。
リュートの作画に関して協力させていただいております。

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詳細は公式サイト内のブログにて記しておりますので、どうぞご覧くださいませ。


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ダウランドがシェイクスピア詩に登場!? [愛しのリュート達]


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シェイクスピアの詩集として1599年に出版された「Passionate Pilgrim」(情熱の巡礼者)。

その中にこのような詩があります。


 VIII. If music and sweet poetry agree

If music and sweet poetry agree,
As they must needs (the sister and the brother),
Then must the love be great ‘twixt thee and me,
Because thou lov’st the one, and I the other.
Dowland to thee is dear, whose heavenly touch
Upon the lute doth ravish human sense;
Spenser to me, whose deep conceit is such
As passing all conceit needs no defence.
Thou lov’st to hear the sweet melodious sound
That Phoebus’ lute (the queen of music) makes;
And I in deep delight am chiefly drowned
When as himself to singing he betakes.
One god is god of both (as poets feign)
One knight loves both, and both in thee remain.


「おお、シェイクスピアの詩にダウランドが登場している!」
(ダウンロードの間違いじゃないよな・・・?と何度も確認)

「リュートを弾くタッチがどうのこうの・・・と書かれている!」
(古い英語がよくわからんが、heavenlyという単語がいかにも上手そうじゃないか)

「(オルフェウスでなくて)太陽神フォイブスのリュートという例えも珍しい!」

「シェイクスピアはダウランドに会ったことがあるのか?!」

と興奮したのも束の間、これはぬか喜びに終わりました。


この詩集、表紙には、By W. Shakespeare と謳っているものの、
そのうち実際のシェイクスピアの作品は5作のみ。

この詩の作者は Richard Barnfield(1574-1627)で、
既に前年1598年に出版された「Poems in Divers Humors」に収録されているそうです。

要は、シェイクスピアの他にもいろいろな作家の詩を集めたものだったのに、
表紙には「シェイクスピア詩集」と堂々とつけてしまって、
あたかも全部がシェイクスピアの作品であるかのような誤解を生んでいるわけです。

出版したウィリアム・ジャガードが不誠実だよなーと思う一方で、
シェイクスピアの名前を押し出せば売れる!という
当時の人気の高さをうかがい知ることができますね。

400年後に、まんまとジャガードの「シェイクスピア商法」に引っかかってしまった私。




まあ、気を取り直して。

上記の詩、音楽と詩とを並べているわけですが、
音楽家としてダウランド、詩人としてにはスペンサーがその代表として登場しています。


どなたか古語の英語詩を訳するのが3度の飯より好きです!という方、お知恵をお貸し下さい。

シェイクスピア作でなくても構わないので、リュート弾きにとっては、
ダウランドが当時どんな風に思われていたのか純粋に知ってみたいです。

mail(a)seikonagata.com       (a)を@に換えて下さい。





何か、新しいダウランドのCDないかなーと探してみたらこんなCDが。

「ダウランドもいいのだけど・・・」Not Just Dowland というタイトルのCD。



「ダウランドもいいのだけど・・・」ってじゃあ、何がおすすめなの?と
思って収録曲を見たら、見事にダウランド以外のリュートソング、
同時代のイタリアの歌曲(メルラなど)を集めたCDでした。(ソプラノとリュート)

このネーミングすごいな。「シェイクスピア商法」より上手な気がする。
ダウランドを聴きたいのに、すでにこれを買いたい気分になっている私・・・。

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二人のリュート奏者、ロビンソンとダウランド [愛しのリュート達]


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トマス・ロビンソン(Thomas Robinson)の作品を取り上げます。

彼のリュート二重奏の作品は頻繁に演奏してきましたが、
ソロ作品を弾くのは、久しぶりです。
地味ながらもしみじみとした暖かさに満ちた作風です。

彼の人生については生没年すら不明ですが、ダウランドとの関連で俯瞰してみると、
ちょっと面白いかもしれません。


ロビンソンは、音楽家の父親と同様、エリザベス女王の側近セシル家に仕えていましたが、
20代でデンマークにわたり、フレデリック2世の妃ソフィーと王女アンの個人的な音楽教師となります。


フレデリック2世は1588年に崩御、息子クリスチャン4世の時代に。
デンマーク王室は優れた音楽家を他国から招聘しており、その一人としてやってきたのがダウランド。
ダウランドは、1598年から1606年の間デンマーク王室のリュート奏者を務めたとされていますが、
それについての公の記録はなく、ロビンソンがそう言及しているため、知られていることなんですね。

ちょうどダウランドがデンマークにやってきたのと同じ年、
1598年、ロビンソンがリュートを教えていたアン王女は15歳で、
スコットランド王ジェームズ6世の妃としてお嫁入り。


その5年後、イギリスでは1603年エリザベス1世が崩御し、
スコットランド王ジェームズ6世はイギリス国王ジェームズ1世を兼ねることに。
当然、その王妃アンもイギリス国王妃に!


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アンの肖像画(首の美しさを讃える言葉が残されています。そこが褒めどころって、笑。)


イギリスでアンは、芸術活動の庇護に力をいれヨーロッパでも有数の文化サロンを主宰。
(ああ、その音楽教育を施したのはロビンソンなのだ!と思うとなんだか嬉しいな。)


ロビンソンに関する情報は少なく、いつイギリスに戻ったのかも不明なのですが、
残る手がかりは、楽譜の出版のみ。
3冊目の曲集を1603〜1609年にロンドンで出版します。

リュートソロと二重奏の作品を含む2冊目の曲集「The Schoole of Musicke」は
ジェームズ1世に献呈され、献辞にはデンマークでアンに教えていたことも書かれています。
教則本でもあるこの曲集の宣伝文句としては、最強でしょう。


この曲集には「The Queen's goodnight」や「The Queenes Gigue」など
王妃にちなんだ曲名の作品がありますが、これはアンを示していたのですね。
(今まで、何回も演奏しておきながらエリザベス一世だとばかり思っていましたよ。・・・)

3冊目のシターン曲集を出版したのが1609年。
それ以降ロビンソンについての記録は何も残っていません。


一方、ダウランドは、というと、1606年までデンマーク王に仕えたのちにイギリスに戻り、
1612年イギリス国王付きのリュート奏者になったものの、
その時の国王は、ジェームズ1世であり、憧れのエリザベス1世ではなかったんですよねー。
ダウランドが晩年、イマイチだった気持ちがちょっとわかる。・・・


デンマークやイギリスでも、この二人のリュート奏者は顔見知りだったと思われますが、
距離感や関係はどんな感じだったんでしょう。
いろいろと妄想が膨らみます。



楽譜「The Schoole of Musicke」はPublic Domainとなっているため、無料で閲覧できます。




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映画「ハムレット」但しリュートは登場しない [愛しのリュート達]


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オフィーリアのシーンにリュートは登場しないとわかっているものの、
映画「ハムレット」のDVDをまたレンタルしてしまいました。


オフィーリア役にケイト・ウィンスレット、その他、豪華キャストによる作品。
原作(Q2)のセリフをカットすることなく忠実に製作したもので、
上映時間は4時間を超え、DVDも2枚組に。

今までも何回も見ていたのに、
この映画が長いことの意味が今まで全くわかっていなかったなー。



オフィーリアがどんな風にバラッド・チューンを歌うのか、
また先の論文で指摘されていた政治的危機の状況、民衆と貴族の撹乱とは何を指すのか、
など、物語のあらすじをおさらいしつつ視聴しました。

悲劇だけあって、最後は見事に全員が死んでしまいますね。
そのさっぱり感も潔くて好き。





今回は、上記の確認ポイントの他、物語の舞台がデンマーク国王の宮廷ということで、
デンマーク王室に仕えたリュート奏者、ダウランドとロビンソンのことも念頭におきつつ。

特に、私の関心はイギリス王室とデンマーク王室との関係が(政治的&心情的に)どんな感じなのか、
地図を確認すると両国には結構距離があるのですが、そこをどういう手段と経路で往復したのか、も
チェックポイントでした。

また9月25日&10月2日のコンサートでの演奏曲に、ホルボーン作「夜警」というのがあり、
宮廷の「夜警」という職業(?)がどんなものなのか、という関心もあって・・・。

夜警たちは、この「ハムレット」でも、先日紹介した「から騒ぎ」でも、
脇役とはいえ活躍するんですよね。

                
いろいろと把握するのに忙しくて、4時間なんてあっという間でした。
言葉が音として発せられるのを聞くのは心地よいです。
もちろん、観劇するのが本来の形なのですけどね。

おすすめです。

この映画を見て、古楽の演奏会についても思うことがありましたが、
長くなりましたので、またこれは次の記事に。








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「オフィーリアとリュート」への追加情報をいただきました! [愛しのリュート達]


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「オフィーリアとリュート」の話題がTwitter上で盛り上がり、
大変ありがたいことに、シェイクスピアご専門の先生、音楽学の先生方から
追加・補足情報をいただきました。

Twitterをご覧になっていない方もいらっしゃるかとおもいますので、
ブログでもまとめておきます。
当時、リュートがどのように捉えられ位置づけられていたのかを理解する上で、
とても有益な情報と思われますので、ぜひ最後までお読み頂ければ、と思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

*偶然、今日の記事から読んでくださっている方、是非以下の二つの記事をさっと
お読みになり、ご参加下さい!

議論の発端になったのは、このブログ中の記事「オフィーリアとリュート」。
すぐに、訳者によって色々あるぞ、ということがわかり、まとめたのがこちら。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最初のブログで、私が参照した喜多野裕子氏による論文
“Let her come in” ーー『ハムレット』におけるオフィーリアのバラッド歌唱と政治的危機」
で言及されていた貴族女性がリュートを弾くということについて、
以下のような情報が寄せられていました。

まずシェイクスピアをご専門に研究されているsaebou先生@Cristoforouより












ここでフランス在住のチェンバロ奏者、ジャスミン男さん@echinodermes
いい質問をしてくださいました。















医学史の鈴木晃仁先生がブログを紹介して下さいました。




 

ここでイギリス在住の音楽学者、まつもと(な)先生  に登場リクエストの声が。
古楽クラスタではおなじみの先生で、特に「狂気」と音楽との関わりについて研究をされています。




































同時進行で、会話が続くため、順序が前後している箇所もありますが、

このようにとてもエキサイティングな情報交換が行われました。


その他、哲学や思想史からのご指摘や、

私が把握しきれなかった各種の翻訳ではどうなっているか、

あるいは実際これまで上演された演劇ではこのシーンがどのように演出されていたか、など、

それぞれのジャンルの方々の間で話題となりました。



すべての情報は私にも把握できておりませんが、時の坩堝(@emanatio999)さんが

裏古楽の楽しみ-リュートとシェイクスピア】としてまとめてくださっていますので、

こちらもご覧くださいませ。


情報をお寄せくださった皆様、「いいね」やRTをしてくださった方、読んでくださった方々、

どうもありがとうございました!


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オフィーリアはリュートを弾くのか抱くのか問題 [愛しのリュート達]


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Alexandre Cabanel“Ophelia” (1883年)




前の記事を公開したのち、シェイクスピアのハムレットの第4幕第5場、
狂乱のオフィーリアが登場するシーンの箇所について、

・福田恆存訳では リュートが登場する、
・「ハムレットQ1」というタイトルの安西徹雄訳が出版されている、

というご教示を頂きました。誠にありがとうございます。

そこで今日は近所の図書館に出かけ、いくつかの日本語翻訳を比較してみることに。

結論から言いますと、Q1、Q2、F1という3つの版の成り立ちや相互関係、
またそれらの価値判断について、専門家の間でも意見が分かれています。

日本に限らず、これまでの翻訳家・校訂者は、
それらのうちのどれかを中心としつつも、必ず他も並行して参照し、
箇所によっては部分的に混ぜつつ翻訳をしているようです。
特にQ1はト書きが充実しており、当時の演劇の様子を示す資料として信頼できる、と
いうことで、ト書き部分のみ採用する場合が見受けられます。


               ***


さて、問題の箇所、Q1のト書きの英語は、

“Enter Ofelia playing on a Lute, and her haire downe singing”

この部分がどのように翻訳されているでしょう。


1 福田恆存訳(新潮文庫)________________

オフィーリアは狂乱のてい。乱れた髪が肩にかかり、
胸にリュートを抱きしめている。

(リュート登場! でも弾かないで抱いているだけ・・・。)


2 野島秀勝訳(岩波文庫)__________________

彼女は狂乱の体で、リュートを抱き、乱れた髪が肩にかかっている。

(リュート登場するも、これも抱いているだけ。弾いてよ・・・)

*この二つの翻訳は同じドーヴァ・ウィルソンが校訂した新シェイクスピア全集を基に
翻訳したものなので、共通性が見られます。
校訂者ウィルソンは、Q2を最も信頼するものとしつつも、
Q1とF1からも部分的に採用。(解題より)




3 小田島雄志訳(白水Uブックス)_________________

ホレーシオがオフィーリアをともなってふたたび登場。

(リュートの記述なし・・・)


4 坪内逍遥訳(中央公論社)____________________
初版明治42年、昭和8年再版されたものを参照。

ホレーショー心狂ひたるオフィリャをつれて出る。

(琵琶とでも訳されているかと期待したけど、登場せず)




ではいよいよ「ハムレットQ1」というタイトルで訳された安西徹雄訳を!
 (Q1なんだから、リュート登場するよね、ね!)



5 安西徹雄訳(光文社古典新訳文庫)_________________
(Q1ではこのシーンは第2幕第6場にあたる)

オフィーリア 登場


・・・のみ。(あれ?!)



これはいったいどういうことなのか。
本の最後、小林章夫氏による解題に言及があった。

(Q1資料のト書きが充実しているという文脈で)
・・・「オフィーリアがリュートを弾き、髪を垂らして歌いながら登場」とある。
(本翻訳では単に「オフィーリア登場」としかしていない)
ここなどはシェイクスピア時代の上演の様子を伝えるものとして、興味深いのではないか。・・・・


だったら、それを訳してくれれば良かったのにー!
と、解題の小林氏に言ってもしかたない。
安西氏は2008年に亡くなり、この本は2010年に出版されている。

安西氏はなぜこの部分を省略したのだろう。
この訳が、演劇集団「円」で実際上演するための台本として翻訳されたことを考え併せると、
「リュートなんてどこから調達してくるんだよ?」ということだろう。

それと同様に1と2の訳では「リュートを弾きながら歌う」が
「リュートを抱いて」になってしまうのも、
「リュートの演奏指導、誰がするのよ?」という現実問題なのだろうか。
いやいや、それは文学というものに対する私の認識の甘さで、
おそらくQ1でない別の資料に「弾く」ではない「抱く」とした記述があるのだろうと想像する。


これ以上は、私の手に余るので、ここまでとさせていただきますが、
オリジナル資料を比較するサイトがありましたので、リンクしておきます。


なお、私が通常参照している書籍は小田島雄志訳の白水Uブックスのシリーズと、
英語で全作品を検索できる以下のサイトです。


オフィーリアの場面で音楽的に重要なのは、
この後に出てくる「ウォーシンガム」というバラッドを歌うところなのですが、
残念ながら、この秋の私のコンサートではこの曲は弾きません。
これについても、先の論文で非常に鋭い考察がなされています。

コンサートのご案内「シェイクスピア時代のリュート音楽」
9月25日(日)15時開演@中野 
10月2日(日)15時開演@高崎 


上に挙げた書籍のデータ、貼っときますね。









 

 これ、面白そうだなっと思っています。







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オフィーリアとリュート [愛しのリュート達]


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John Everett Millais (1829-1896)“Ophelia”



シェイクスピアの作品とバラッド・チューンとの関連を調べるうちに、
興味深い論文を見つけましたので、ご紹介しておきます。

論文「“Let her come in” ーー『ハムレット』におけるオフィーリアのバラッド歌唱と政治的危機」
京都大学大学院 喜多野裕子氏


『ハムレット』に狂女として登場するオフィーリアが、劇中でバラッドチューンを歌うという
シーンがいくつか出てきます。
その意味について、民衆と貴族という階層の構造から捉えた解釈がなされています。

これについて興味がある方は、ぜひ論文本文をご覧頂くとして、
その周辺情報としてリュートについての記述が他に例を見たことがないものだったので、
ここで引用しておきます。


シェイクスピアの作品にはいくつかの版あり、
普段私たちが目にする一般書籍での「ハムレット」にはリュートは登場しません。
(*文末にこの表記について、訂正があります。8月19日)
しかしながら、別の版(Q1と呼ばれる)でのオフィーリアが歌いながら登場するシーンには
「リュートを演奏しながら」というト書きがあります。

それに関する喜多野氏の指摘。

・・・当時の貴族は楽器を嗜んではいたものの、人前や公の場で演奏することは
貴族と演奏者間の主従関係を崩壊させるとしてふさわしくない行為だとされていた。

(中略)

オフィーリアの狂気がリュートの携帯につながり、階級の撹乱が強調される。
初期近代イングランドにおいては、精神的に崩壊した貴族女性が楽器を演奏しつつ
王や王妃の目前でバラッドを歌うという設定自体が衝撃的であり、
劇的効果も高かった可能性が高い。・・・


さらに、オフィーリアは貴族の女性だが、狂女としてバラッド(小謡)を歌うということで、
宮廷へ抗議する民衆の側に立つ役割を果たしており、
その階級の撹乱は「人前でリュートを弾く」という所作として演出されている、と
論が展開していきます。




リュートで伴奏しながら歌った方が音程が取りやすい、という役者の都合なんじゃないの?
と、単純に私は思ったのですが、なかなか深い意味があるんですね。



そもそも「ハムレット」ってどんな物語だったっけ、と、
上記論文を読んだ上で、もう一度、映画でおさらいすることにしました。
(続きます)



(*訂正:記事を公開した後に「福田恒存訳にはリュートが登場する」ということと、
 「安西徹雄訳のQ1が出版されている」というご教示をいただきました。
  各種、日本語翻訳本で、この箇所、第4幕第5場がどういう訳になっているのか、
  比較した記事をただいま用意しています。)



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リュートカレンダー8月の絵 [愛しのリュート達]


このところ、気温35度を超える猛暑が続いています。
暑いですねー!

せめて涼しげな格好でリュートやガンバを弾いている女性たちの絵を鑑賞して
暑さをしのぎましょう。

リュートカレンダー8月の絵は、ヤン・ファン・ベイレルトの【コンサート】です。
Jan Hermansz van Bijlert(1597 or 1598-1671) “The Concert”

Jan_van_Bijlert のコピー.jpg


頭につけているのは、豪華な羽飾り。うさぎ耳ではありません。
この時代の風俗画の衣装としてよく描かれていますね。

頭にはこんな飾りをつけているのに、身体のほうは官能的すぎる薄着(というか半裸)で、
これは一体どういうシチュエーションなのか?!と考えますに、
ここは売春宿で この女性たちは娼婦ということでしょう。

このような場での作品は当時オランダで数多く描かれ、その裏には道徳的な教訓が込められることも。
(どのような意図を汲み取るかは、ご自由に)

タイトルは「コンサート」ですが、現代でいう観客を前にした演奏会ではなく、
自分たちが楽しむための日常的な合奏風景。

手前に二人の女性奏者たち、奥の左端にリコーダーを吹く男性がいて、中央の男性は歌手でしょうか?

この絵を見ると、何とも落ち着かない感じがするのですが、
それは人々の視線がまったく交差していないからだと思い当たりました。

つまり、リコーダー奏者は歌手のことを気にしつつも、歌手はどこを見ているのやら、うわの空、
ガンバ奏者はリュート奏者に視線を送って合図をしている風なのに、
リュート奏者は 私たち鑑賞者へ熱い視線を送っていて、全く他の3人のことを気にしていない。

このアンサンブル、だめなんじゃ・・ちゃんと一緒に合奏できてるのかしら・・と
不安になる構図です。

逆に言うと、絵の世界だけで完結してなくて、こちら側へと開かれているが故に、
とても親しみを感じ、そこでの音の響きに思わず耳を澄ましたくなる、
あるいは自分も一緒にアンサンブルに参加している気分になる作品とも言えるでしょう。
その両方の世界をつなぐ役割をリュート奏者が担っているのです。


あまり高解像度の画像を見つけられなかったのですが、リュート部分を拡大、
少し露出をあげ、シャープをかけてみます。

concert-up.jpg

弦の数を数えてみると、10コース・ルネサンスリュート(1コースは単弦)。

フレットについては判別できず不明。

珍しく、テーブルに寄りかからずに、脚を組んでリュートを持っています。

左右の手の形も自然で、持っているだけでなく、実際弾いているんだろうなと思わせる
リアリティがあります。
聞こえてくるのは、g-minorの和音。


            ***

作者ファン・ベイレルトは、オランダ・ユトレヒト出身の画家で、カラヴァッジョ派の一人。

自画像(1649年作/51歳の頃)

Portrait_de_Jan_Van_Bijlert.jpg

成功した画家であり多作家でもあったのですが、ややマイナーなのか、
ネット上に画像は多くありません。

他のオランダの画家と同様、人々の日常生活の一コマを描いた風俗画を得意とし、
それらの中に楽器を奏する人々が描かれています。


            ***
では、この画家の他の作品を紹介します。

同じく【コンサート】“The Concert”と題された作品。

Jan_van_Bijlert_The_Concert-1.jpg


右端の床に、リュートが伏せて置いてあります(ガンバのおじさんに蹴られそう、ハラハラ・・・)
これも集った人々が合奏を楽しむ様子を描いたものと思われますが、
右から、ハープ、リコーダー、ガンバ、シターン(?)、ヴァイオリン。
胸を露わにした女性と男性は楽譜を前に、歌っているのでしょうか。
奥の左端の男性は、勢いよく高いところからお酒をグラスに注いでいるところです。

この状況でどんなサウンドが聴こえてくるでしょう。

そして、この作品もまた、中央のシターンを弾く女性が振り返りつつ視線を私たちへと送り、
各メンバーの視線はそれぞれ別の方向へと向いていて、絡みあうことはない構図となっています。


【音楽の仲間】“Musical Company”

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11コース・バロックリュートかと思われます。
8コースリュートに、少しずつナット部分を継ぎ足して、
拡張したバス弦を載せてみました・・・みたいな形の糸巻き部分になっています。
この時期のオランダの絵画にちょくちょく登場するタイプのリュートです。

ヴァイリンとリュートの合奏、または左端の男性も歌手として参加していると思われるものの、
これもまた視線が合うことのない「音楽の仲間」・・・。


次に【リュートを弾く若者】“A young man playing lute”

playlute のコピー.jpg

これはなかなか珍しいポーズです。
テーブルにリュートを乗せて、中腰で立っているようにも見えます。
こちらへ向けた挑発的な視線が鋭すぎて、リュートがもはや武器のように見えるほど。

肝心のリュートの姿はほとんど見えないけれど、
ペグボックス(糸巻き部分)にユニークな特徴があります。

playlute.jpg

6コースに、拡張したバスを載せるために小さなペグボックスを継ぎ足したような形。
前の作品のリュートともちょっと違う形をしています。

長い棹の方のナットには2コース分の弦が載っているように見えるものの、
ペグはもう1セットあるようにも見えます。



次も【音楽の仲間】“Musical company” と題された作品で、最近発見されたもの。

BijlertMusical のコピー.jpg

豪華な衣装のほろ酔い気分の男性。リュートで音をとりながら歌の練習中でしょうか。
右手の仕草が、拍子をとってリズムを数えているようにも、
メロディーの抑揚を示しつつ みんなをまとめているようにも見えます。

背後にいる男性ふたりも、大きく口を開けて声を張り上げている様子ですが、
この二人、距離が近すぎでは。
この作品もまた、お互いの視線が交わることはなく、見ていて不安がよぎるものの、
3人のおじさんたちの口元には愛嬌があり、
大声で歌うことの無邪気な喜びが伝わってくる作品。


この作品は カラヴァッジョの影響を最も強く受けていた時期(1624年頃)の作品で、
リュートの描写もとりわけ精密です。

BijlertMusical-light.jpg

1コースも複弦に張った、8コース・ルネサンスリュート。

BijlertMusical.jpg

フレットはシングル巻き。
糸巻き部分に、巻き残した弦の端が 飛び出している様子も描かれています。





【音楽やってる仲間たち】“Making music company”(1629年ごろ)

musicmak1.jpg

この作品には、合奏が上手くいってそうだ、と思わせてくれる安心感があります。

両端の男性二人は別として、中央5人は一つのテーブルの方を囲み、
シターンを弾く女性とその肩を抱く男性とは見つめ合い、
ヴァイオリンとリュート(6コース・ルネサンスリュート)を弾く男女は
同じ楽譜に視線を注いでいます。

皆に右手で合図をしつつ歌っている女性と、
楽譜なんか見なくても余裕だよ、という雰囲気の左端のハープの男性は、
私たちの方へと視線を送り、合奏への参加を促しているようにも。

musicmak.jpg

ハープの男性の足元には、楽譜と共に、トロンボーンらしき金管楽器、
ガンバ、タンバリンなどの楽器が転がっています。

どの楽器なら参加できそうでしょう?(私は憧れのタンバリン一択です)

        ***

この作家は、描かれた人物たちの視線の扱いが面白いなあと思って、
ここまで作品を見てきましたが、最後に私が一番受けた作品を紹介させてください。

ギリシャ神話をテーマにしたものです。

【キューピッドを折檻するヴィーナス】“Venus chastising cupid”

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珍しいテーマだと思いますが、
人物(神様というべきか)の描写に関してはまあ、普通。


その様子を見ている右端の鳩たちにご注目!

Jan_van_Bijlert_-_Venus_Chastising_Cupid_-_Google_Art_Project.jpg

「おー、こわこわー。ヴィーナス怒ると怖いよ。逃げようぜ」


この鳩たちにすごく感情移入してしまいました。

      *****

今回の絵画作品から聞こえる音楽は・・・


    

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リュートはいつから「リュート」と記した? [愛しのリュート達]

シェイクスピアの『空騒ぎ』(第3幕第2場)に、ふふっと笑ってしまう、
リュートに関する記述がありました。



(ある人物が恋をしているのではないか、と噂する場面。)

クローディオー:左様、しかも、一番変わったのは万事を洒落とばす気軽な才気で、
それがルート(リュート)の弦に巻き込まれ、高さ低さも意のままならぬ金縛り。

ドン・ペドロ:なるほど、それは大分重態らしい・・・要は要するに、恋だという事になる。

(福田恆存・訳 シェイクスピア全集/新潮社)



リュートの調弦が安定しないことへの揶揄が、ここにも。

図書館で見つけたこの古い本(昭和37年出版)でも、
また小田島雄志さん訳でも、リュートが「ルート」と表記されています。

英語の発音に近いカタカナ表記と思われますが、
いつ頃から「lute」をリュートと表記するようになったんでしょうね。

音楽の分野でのリュートの普及状況とリンクしているとは思いますが、
そのあたりの変遷を見てみるのも 面白いかもしれません。




かつて、つのだ先生が
「リュートの先のところ、龍の頭みたいでしょ?
 だから「龍頭(りゅうとう)」と呼ばれるようになりました」と楽器説明をしていらして、
冗談なのに、お客さんはすっかり信じ込み、リュートは中国の楽器と誤解されていたことを
思い出して、また一人で ふふっとなりました。


IMG_1216.JPG

弦を変えたあと、端の始末が出来てなくて、まさに龍のひげ状態・・・。


さて、「シェイクスピア時代のリュート音楽」プログラム解説は
9月25日の東京公演、10月2日の群馬公演まで続きますが、
一旦、明日から北海道公演に出かけますね!





じゃじゃ馬ならし・空騒ぎ (新潮文庫)

じゃじゃ馬ならし・空騒ぎ (新潮文庫)

  • 作者: シェイクスピア
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1972/01/29
  • メディア: 文庫










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リュートカレンダー7月の絵 [愛しのリュート達]


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7月に入り、いよいよ暑くなってまいりました。
リュートカレンダー7月の絵のリュート弾きさんも、片肌脱いでいます。

今月の絵は、
ヘラルト・ファン・ホントホルストの【音楽会】
Gerard van Honthorst (1592-1656)作 “The Concert ”です。


この作品は、フランスのある家で所有されていた作品で、最後に公開されたのが1795年。
アメリカ・ワシントンD.Cの国立美術館が 2013年に購入し、
実に、218年ぶりに公開されたという作品。


作者・ホントホルストはオランダ・ユトレヒトの画家。
生涯についての詳細は上記リンクよりご覧いただくとして、ポイントとしては、

・カラヴァッジョ派の画家である(細部の描写にリアリティがある)
・世俗画に個性が発揮されており、楽器を描いたものが多い

ことが挙げられます。


さっそく、掲題の作品の細部を拡大して見てみましょう。

Gerard_van_honthorst_-_the_concert_-righthand..jpeg

8コースのルネサンスリュート。
低音弦と高音弦とで、太さや色が違うことまで、細かく描写されています。

テーブルの上に楽器を置き、右手の小指を表面板にしっかりつけることで、
楽器が仰向けに転がらないようにバランスを取っているように見えます。

この持ち方は左右の指が拘束されてしまい、演奏の自由をかなり奪います。

Gerard_van_honthorst_-_the_concert_-_1623.jpg

フレットは、シングル巻き。
1フレットの間隔が幅広く、2フレット目は狭いというミーントーン調律であることが見てとれます。
1フレット目にミニ(部分)フレットは貼っていないですね。

6コースの低音側の弦が、緩んでいるのか、癖がついているのか、ヨレッとしていて浮いています。

左右の指の、関節の描写が見事。
血の通った手の温かみや、関節の力の入れ具合までわかるくらいです。

他にも書きたいことは多々ありますが、
今回はリュートが登場する作品が他にたくさんありますので、ちゃっちゃと行きますよ!



まずは、リュートを調弦する女性たちの作品から。

【リュートを調弦する女性】(1624年)

GERRIT_VAN_HONTHORST_UTRECHT_1590_-_1656_A_WOMAN_TUNING_A_LUTE のコピー.jpg

今まで、リュートを調弦する様子を描いた作品をいくつか見てきましたが、
この女性の余裕の笑顔をご覧あれ。
おしゃべりしながらペグ回して、リュートの扱いに慣れている様子。
リュートカレンダー3月の絵のしかめっ面とはえらい違いです。

7コース・ルネサンスリュート。1コースは単弦(ナットに溝は2本あるが)。

このリュートは フレットの巻き方が面白い!
1〜3フレットまではダブルに巻き、それから上のフレットはシングル巻き。

GERRIT_VAN_HONTHORST_UTRECHT_1590_-_1656_A_WOMAN_TUNING_A_LUTE のコピー 2.jpg

ロゼッタのデザインもくっきり。

GERRIT_VAN_HONTHORST_UTRECHT_1590_-_1656_A_WOMAN_TUNING_A_LUTE.jpg



【リュートを調弦する女性】(1624年)

Femme_accordant_son_luth.JPG

7コース・ルネサンスリュート。1コース単弦。
フレットはシングル巻き。
こちらも、余裕の笑み。


同じく、リュートの調弦をする女性の絵をもう一枚。

【リュート奏者】(1624年)

Gerard_van_Honthorst_-_Lute_Player_-_WGA11666.jpg


ペグの数から判断して7コース・ルネサンスリュート。
安定の笑顔。



ここからは、バルコニーでの音楽会シリーズになります。

【欄干に寄りかかった陽気なヴァイオリン弾きとリュート弾き、あるいは 音楽会】(1620年代)

A_merry_group_behind_a_balustrade_with_a_violin_and_a_lute_player,_by_Gerrit_van_Honthorst-1.jpg


弦の数、ペグボックスの形から判断するに、7コース・ルネサンスリュートかと。
1コース単弦、フレットはシングル巻き。

左のヴァイオリン奏者は 鼻の頭を赤くして、すっかりご機嫌です。




ついに、長棹のリュートも参加!

【バルコニーでの音楽会】(1624年)

Gerard_van_Honthorst_-_Concert_on_a_Balcony_-_WGA11671.jpg

右のリュートは7コース・ルネサンスリュート。
ボディの裏がシマシマ。イチイ材。

左は13コース・アーチリュート(調弦によってはテオルボ)。

「バルコニーでの音楽会」という設定で描かれた一連の絵は、
平面の壁なのに、その奥に部屋があるかのように見せかける「Trompe l'oeil」(だまし絵)の
手法が用いられています。



同様の作品をもう一枚。

【バルコニーの音楽家たち】(1622年)

Gerard_van_Honthorst_-_Musical_Group_on_a_Balcony_-_WGA11659.jpg

彼自身の家の天井画として制作されたもの。
自分の家の天井がこんなだったら、落ち着きません・・・。

距離が遠くて(!?)リュートもアーチリュートも弦の数は不明です。
右上の角にもリュート奏者がいますが、手抜きな感じ。
天井に描いているうちに、首が痛くなったのでしょうか。

カラフルなオウムと犬が、人々の間からひょっこり顔を出していて愛嬌がありますね。




ここからは「蝋燭の灯りにぼんやり照らされるリュート」シリーズです。
光の使い方にカラヴァッジョの影響がうかがえます。

【取りもち女】(1625年)

Gerard_van_Honthorst_-_The_procuress_-_Google_Art_Project.jpg

7コース・ルネサンスリュート。

今までもフェルメールの作品などで登場したテーマ「取りもち女」。

右の女性(娼婦)が「いいリュートでしょ? 新しく手に入れたの・・・」なんて
リュートの話題で 男の興味をひきつつ、
ちゃっかり 左端の取りもち老女が仕事を斡旋している場面。

オランダ語でリュートを示す “luit” が別の(卑猥な)意味があるという記事を
読んだのだけど、確証とれず。
うーん、オランダ語、恐ろしや。



【夕の宴】(1619年頃)

Gerard_van_Honthorst_-_Supper_Party_-_WGA11652.jpg

ルネサンス・リュートだと思われますが、詳細不明。
リュートを楽しみつつの、夕食風景。(右の3人は何をしているんだろう・・・)

【音楽の宴】(制作年不詳)

640px-A_Music_Party_(van_Honthorst).JPG

リュートについては詳細不明。
テーブルの上に、後ろが膨らんだタイプのバロックギターが伏せて置いてあります。

ほのかな灯りで熱心に楽譜を見ながら歌っている二人に対して、
リュート奏者はちょっと上の空な態度に見えます。飽きちゃってる?


【陽気な仲間】(1623年)

Honthorst,_Gerard_van_-_Merry_Company_-_1623.jpg

手前の男性の陰になっていて見づらいのですが、
中央の女性が、長棹のリュートを持っています。

「陽気な仲間」と題されているものの、左奥にぼんやりと(ちょっと怖い)立っている
赤ん坊を抱いた老女は「取りもち女」です。
すなわち、ここでもリュート弾きの女性は 娼婦です。





ここからは、バロックギターシリーズになります。

【ギターを弾く女性】(1624年)

Gerard_van_Honthorst_-_Woman_Playing_the_Guitar_-_WGA11669.jpg

楽器に落とされた影と右手の描写が、まるで「ぶれた写真」のような効果を醸し出し、
ラスゲアードしている右手の動きが感じられる作品です。

弦の張り方、左右の手の形など、とてもリアリティがあります。



【ギターを持つ女性】(1631年)

Gerard_van_Honthorst_-_lviv_gallery.jpg


バロックギターを調弦する女性。やっぱり笑顔です。
ペグを回している左手の小指が立っている様が 微笑ましい。


バロックギターの2作品は、どちらも5コース、1コースは単弦、フレットはシングル巻き。

              ***


どの作品も内側から発光するような美しい肌の描写、
衣装(特に、頭につけた豪華な羽根飾り)にも見所がありますが、
今回はリュート、ギターの弦の数、フレッティングに絞って観察してみました。

(高解像度の画像を探し、拡大して観察してみた結果を書いていますが、
そのままデータをアップすると重くなってしまい、閲覧環境によっては見れない方もいらっしゃるので、
記事内には軽いデータを貼っています。)


1620年代には、もう10コースリュートがメインの時代かと思いきや、
案外、7-8コースも共存していることがわかります。

しかしながら、全体として印象に残るのは「楽器を弾く女性たちの笑顔が素敵!」ということ。
こんな風にリュートを弾きたいものですね。
小難しいことは、もはやどうでもいい。


画家の自画像はこちら。

Gerrit_van_Honthorst.jpg

リュートをいっぱい描いてくれて、ありがとう。


【今月のおすすめCD】
Paul O'Detteのニコラ・ヴァレのリュートソロ作品集。
Amazonプライム会員の方は現在、無料でダウンロード可能のようです。





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