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9月25日コンサート満席となりました [コンサートのお知らせ]


公式サイトの更新がシステム不具合で上手くいかないので、こちらでお知らせします。

本日9月25日の「シェイクスピア時代のリュート音楽」コンサートは
お蔭で、ご予約のお客様で満席となっております。

当日券はご用意いたしませんが「立ち見でも構わない」という方はどうぞお越しください。
お釣りのないよう入場料をご用意いただけると助かります。(3500円です)


昨日までのやや寒い雨がちの天気から打って変わって、
今日は快晴となり、夏に戻ったかのような気温となっております。

お越しのお客様は、熱中症にならないようお気をつけてお越しください。
今回は、ドリンクのサービスはございませんが、飲食OKの会場ですので、
各自お飲み物をご持参くださって大丈夫です。

演奏中は、会場の空調を一時停止する可能性があります。
暑くなると思われますので、脱ぎ着のできる気楽な格好でお越しください。


秋らしい色合いのドレスにしようかなーと昨日アイロンかけたりしましたが、
これは暑いですね。夏の衣装に変更です。

では、楽しんで演奏してきます。







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インタヴュー記事 [プロフィール]

2016年10月2日(日)群馬県高崎市でのリュートソロコンサートに向けて、
主催のアトリエミストラルさんがインタヴュー記事を「アトリエミストラル通信」に
掲載してくださいました。

お許しを得てこちらでも転記しておきます。
結構、質問されないと答えないだろうと思う事柄があるもんですね。
特に「リュートをどうやって知ったのか?」みたいな質問は
コンサートでも興味深げに質問されることがあるものの、
いろいろありすぎて3分ではとっさに答えられないよ・・ということが多いので
この際、少し詳しく書きました。

表向きのプロフィールでは書けない、ちょっとプライヴェートな事柄もこうやって
お伝えするのもいいものですね。

どうぞご覧ください!

コンサート「シェイクスピア時代のリュート音楽」
10月2日(日)15時開演(14時30分開場)@アトリエミストラル(高崎) 
ご予約は nsakura@beige.ocn.ne.jp  090-8047-3757




Q1:リュートってどんな楽器なのですか?(興味はあるけどよく知らない人向けに)

アラビア半島の民族楽器「ウード」が11世紀ごろにヨーロッパに伝わり「リュート」と呼ばれるようになりました。
その後18世紀末まで、中世〜ルネサンス〜バロックという3つの時代にわたって、
ヨーロッパのほとんどの国々の王侯貴族の宮廷で中心的役割を果たす楽器として活躍します。
宮廷楽師だけでなく、王侯貴族自身もたしなみとして演奏していました。
その間、約4万曲の作品が残されましたが、次第に人気が衰退してゆき、19世紀になると誰も演奏する人がいなくなり、一旦伝統が途絶えます。
約100年の沈黙ののち、20世紀の初めに楽器の復元と研究がなされ、今日に至っています。



Q2:リュートとの出会いはいつ、どんな状況で? またリュートを志したきっかけがあれば、是非お願いします。

クラシックギターに熱中していた13歳の時。
かつて、日本で廉価版のリュートが一時期流行ったことがありまして、ギターの先生がリュートを持っていたんです。
クラシックギターの曲の中には、リュートの作品をギター用に編曲したものが結構多く、中学生だった私は
ダウランドやバッハなど古い時代の曲ばかりを好んで(ギターで)弾いていました。
同時に、NHK-FMラジオで古楽を紹介する番組が早朝に放送されていまして、
これを聴きながら漢字の練習をするのが至福の時、という変わった中学生でした。
この番組で時々リュートの音が流れてくるのを聴いていたのもきっかけの一つです。
その後、大学で音楽学を専攻することになり、その教授が世界的なリュート音楽研究の権威であったにも関わらず、
リュートを弾く、ということにはまだ至りません。就職してお金を貯めてやっと中古のリュートを手に入れ、
会社員を辞めてアルバイトしながらレッスンに通うようになりました。
そのうちリュート奏者だった夫と一緒にフランスに留学することになるのですが、
そこでリュート音楽の奥深さに触れ、一生探求してくことになるだろう、と思いました。



Q3: 永田さんにとって、リュートの魅力とはどんなところでしょうか?

静かな音楽であること、繊細な表現ができる楽器であること。


Q4:好きな作曲家、好きな演奏家、尊敬する演奏家は?(リュートでも結構ですし、リュート以外でも)

好きな作曲家・・・フランチェスコ・ダ・ミラノFrancesco Canova da Milano(リュートのための対位法的な作品を数多く残した16世紀の作曲家です)
好きな演奏家・・・ポール・オデットPaul O’Dette (アメリカのリュート奏者です)
尊敬する演奏家・・・今村泰典氏、左近径介氏(私のリュートの師です)


Q5:10/2のアトリエミストラルでのコンサート「シェイクスピア時代のリュート音楽」の聴きどころは?

今回は、今から400年前のイギリスの作品でまとめてみました。
400年前というと、電化製品がなくすべての音楽は生演奏だった時代です。まずはその静かな音楽とリュートの音色を体験していただきたいです。
この時代は、リュート作品全体の中でも一つの最盛期を迎え芸術的に優れた作品が数多く残されています。
ダウランドは比較的よく演奏されますが、ロビンソン、ホルボーンはあまり演奏される機会がありませんので、これを機会に知ってほしいと思います。
また、当時の一般民衆の音楽と貴族の音楽の関係と、その中でメロディーがどのように伝承されていくのかを探るのが隠しテーマになっています。
その脈絡で「グリーンスリーヴズ」やサイモンとガーファンクルがカヴァーした「スカーバラ・フェア」、朝ドラで流れて有名になった「川の流れは広く」などを
再考してみようと考えています。
個々の作品については、ブログに解説記事を書いておりますので、事前にお読み頂けるとよりコンサートが楽しめると思います。



Q6:ご自身の活動で、これからの抱負ややってみたいことなどがあればお聞かせください。


3つあります。
1つ目は、これまで通りリュートを中心としたプログラムで、親密な空間でのサロンコンサートを継続すること。
特に、リュートを聴いたことがない方々のいらっしゃるところや、大都市ではない地域に気軽に出かけて行ってライブを行いたいです。
2つ目は、リュートを弾くロバの物語「ロバのおうじ」の朗読音楽会を全国展開させていくこと。
8年前から継続していますが、来年は全国の朗読関係の方々と協力しながらより活発化させていきたいと考えています。
3つ目は、リュートとは別の、もう一つの私の研究テーマである「月琴」という楽器に関する活動をより深めたいと考えています。
現在、CDを製作中です。

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ダウランドがシェイクスピア詩に登場!? [愛しのリュート達]


220px-The_Passionate_Pilgrim.jpg


シェイクスピアの詩集として1599年に出版された「Passionate Pilgrim」(情熱の巡礼者)。

その中にこのような詩があります。


 VIII. If music and sweet poetry agree

If music and sweet poetry agree,
As they must needs (the sister and the brother),
Then must the love be great ‘twixt thee and me,
Because thou lov’st the one, and I the other.
Dowland to thee is dear, whose heavenly touch
Upon the lute doth ravish human sense;
Spenser to me, whose deep conceit is such
As passing all conceit needs no defence.
Thou lov’st to hear the sweet melodious sound
That Phoebus’ lute (the queen of music) makes;
And I in deep delight am chiefly drowned
When as himself to singing he betakes.
One god is god of both (as poets feign)
One knight loves both, and both in thee remain.


「おお、シェイクスピアの詩にダウランドが登場している!」
(ダウンロードの間違いじゃないよな・・・?と何度も確認)

「リュートを弾くタッチがどうのこうの・・・と書かれている!」
(古い英語がよくわからんが、heavenlyという単語がいかにも上手そうじゃないか)

「(オルフェウスでなくて)太陽神フォイブスのリュートという例えも珍しい!」

「シェイクスピアはダウランドに会ったことがあるのか?!」

と興奮したのも束の間、これはぬか喜びに終わりました。


この詩集、表紙には、By W. Shakespeare と謳っているものの、
そのうち実際のシェイクスピアの作品は5作のみ。

この詩の作者は Richard Barnfield(1574-1627)で、
既に前年1598年に出版された「Poems in Divers Humors」に収録されているそうです。

要は、シェイクスピアの他にもいろいろな作家の詩を集めたものだったのに、
表紙には「シェイクスピア詩集」と堂々とつけてしまって、
あたかも全部がシェイクスピアの作品であるかのような誤解を生んでいるわけです。

出版したウィリアム・ジャガードが不誠実だよなーと思う一方で、
シェイクスピアの名前を押し出せば売れる!という
当時の人気の高さをうかがい知ることができますね。

400年後に、まんまとジャガードの「シェイクスピア商法」に引っかかってしまった私。




まあ、気を取り直して。

上記の詩、音楽と詩とを並べているわけですが、
音楽家としてダウランド、詩人としてにはスペンサーがその代表として登場しています。


どなたか古語の英語詩を訳するのが3度の飯より好きです!という方、お知恵をお貸し下さい。

シェイクスピア作でなくても構わないので、リュート弾きにとっては、
ダウランドが当時どんな風に思われていたのか純粋に知ってみたいです。

mail(a)seikonagata.com       (a)を@に換えて下さい。





何か、新しいダウランドのCDないかなーと探してみたらこんなCDが。

「ダウランドもいいのだけど・・・」Not Just Dowland というタイトルのCD。



「ダウランドもいいのだけど・・・」ってじゃあ、何がおすすめなの?と
思って収録曲を見たら、見事にダウランド以外のリュートソング、
同時代のイタリアの歌曲(メルラなど)を集めたCDでした。(ソプラノとリュート)

このネーミングすごいな。「シェイクスピア商法」より上手な気がする。
ダウランドを聴きたいのに、すでにこれを買いたい気分になっている私・・・。

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続・スカボロー・フェア考 [コンサートのお知らせ]


simos&g.jpg

今回のコンサートは、バラッド・チューンと呼ばれる
伝承曲が隠しテーマになっております。

バラッドとは何か、については既に書いています。

現代までに、バラッドの幾つかは既に消滅してしまい、
またあるものはリュートの作品の中に変奏のテーマとして織り込まれ、
またグリーンスリーブズに代表されるように、脈々と時代ごとの様式で編曲されつつ
現在はイギリス民謡として認識されている曲もあります。

そんなバラッドの中で、最も有名になった曲はまぎれもなく、
「スカボロー・フェア」でしょう。
サイモンとガーファンクルが「スカボロー・フェア/詠唱」というタイトルで歌い、
映画「卒業」で使用されたことで大ヒットし、
世界中に知られることになりました。


既に「スカボロー・フェア」については、アロマテラピーの専門家の方との
コラボイベントを行った時に(2007年)16-17世紀バラッド版の歌詞について
気軽な短い記事を書いています。

スカボローフェアその1 16-17世紀版の歌詞
スカボローフェアその2 女性も伝言するが、人間関係はどうなっているのか
スカボローフェアその3 無理難題にどう答えれば満足するのか
スカバローフェアその4 呪文のように繰り返されるパセリ、セージ、ローズマリー、タイムの意味は
スカボローフェアその5 無理難題をぶつけ合う男女たち



その頃からこの曲の元歌が古いバラッドであることは認識しておりましたが、
最近、補足増強版の「バラッドの世界」(茂木健/春秋社)を再読しましたら、
わかりやすい説明がありましたので、かいつまんで紹介しておきます。




・サイモンとガーファンクルの「スカボロー・フェア/詠唱」は
歌詞、メロディともに作者不詳の伝統歌「スカーバラ・フェア」の骨格部分をそのまま流用、
「詠唱」と称する歌詞を追加し、反戦歌の装いを加味したもの。




・では、この伝統歌「スカーバラ・フェア」はいつの時代のものか?

バラッドの成立年代の見分け方は、
1)歌全体の構成から推定 2)歌い込まれている事象からの推定 という二つの方法がある。


まず1)歌全体の構成からの推定

15世紀ごろまでの古いバラッドは、1行目、3行目は音頭取りをする中心的歌手が歌い、
それに応える形で、2行目と4行目のリフレインを周囲の人々が歌う、という形式をもつ。

スカーバラ・フェアの歌詞の1節目を見てみると・・・

スカーバラの町の市へ行くのかい?
パセリ、セージ、ローズマリィ、タイム
あの町に住むある人に よろしく伝えてほしいんだ
その女は昔 俺の誠の恋人だったのだから

という形で数節が連なってゆき、どの節も2行目と4行目はリフレイン(繰り返し)となっている。
つまり、この曲は15世紀ごろの古いバラッドと言える。

2)歌いこまれている事象からの推定

ところが、2節目の1行目に「キャンブリック地のシャツを俺のために作るよう伝えてくれ」
という歌詞が出てくる。
キャンブリック地という綿織物がイングランドに輸入されたのは
17世紀になってから。さらに一般民衆まで普及したのは18世紀後半。

つまり、「スカーバラ・フェア」は構成上は古いバラッドであり、
内容上は18世紀の事物を含んだ比較的新しいバラッドという矛盾がおきる。
この場合、優先されるべきは「構成の方」。

なぜなら、バラッドは長い間、人々の生活の中で命脈を保ち、
その時々の生活が古くから歌われてきたバラッドに投影されていくから。
(形式を保ちつつ、歌詞は更新されていく)


この曲が古いバラッドである理由はもう一つ。
古いバラッドには、キリスト教定着以前の民間信仰、原始信仰の痕跡が色濃く残る。
この曲では主人公が話しかけている相手が全く返答しない点がその痕跡で、
主人公はこの世の人間でなく「異界の住人」なのである。

この曲は古いバラッドの中でも「問答の歌」の一つとして知られるが、
ここでいう「問答」とは、人間を異界に誘い込もうとする「異形のもの」
(多くの場合、老婆や身分の高い人物に化けていて、フェアリーと総称される)と、
誘い込まれまいとする人間のあいだに交わされる問答である。

以上・・・・・序章「スカーバラ・フェア」の世界へのいざない より



この曲の元歌のメロディとそれのディミニューション(変奏)、
サイモンとガーファンクル版のメロディをルネサンス風にアレンジして演奏します。

表記も、サイモンとガーファンクルの邦題が「スカボロー」だったため
それが定着していますが、今後は発音に近い「スカーバラ・フェア」を採用したいと思います。



今回ご紹介した「バラッドの世界〜ブリティッシュ・トラッドの系譜」(茂木健・著)は
音楽のみならず、英文学やブリティッシュ・ケルト文化に興味がある方にもおすすめです。


 

サイモンとガーファンクルのスカボローフェアの動画を貼っておきますね。
やっぱりいい曲ですね〜。


なんと、いろんな歌手が歌っている「スカボローフェア」のまとめサイトがありました。



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ロビンソンのBell vedereに隠されたタイトル [コンサートのお知らせ]



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今日は、ロビンソンの作品「Bell vedere」について、自分用のメモ的な記事です。

調べたことを書いておかないと、何度も何度も同じこと調べてしまうのよね。


さて「Bell vedere」直訳すると「望楼」「見晴らしのよい高台」のような意味ですが、
それでは曲のタイトルになりません。
綴りが何語にしても正しくないし、一体どういう意味なのか、
ずっと気になりながら20年・・・。



今回シェイクスピア周辺を見ていくうちに、気になる情報にぶち当たりました。


1600年「Belvedere or, The garden of the muses」という本が
John Bodenhamらによって出版されます。
これは当時の文学作品や詩を集めたアンソロジーで、
もちろんシェイクスピアの作品も数多く収録されています。

この本は当時少なからず人気があったようで、1610年に再版されています。
詳細は こちらのサイトを。画像も見ることができます。



サブタイトルが The garden of the musesとなっており、
文芸・音楽などの諸芸の女神ミューズの庭なのですが(比喩でしょうけど)庭を見ているなら、
Belvedereは 高台というほどの高さは必要なさげ。
邦題は「美しい眺め」とでも訳しておきましょうか。


当時話題になったこの本のタイトルに触発されて、ロビンソンは作品名としたのかもしれませんね。
確証は全くないのですが、メモとして記しておきます。


この曲はあまり演奏される機会のない作品ですが、
私が最初に師事したリュートの先生がとても気に入っている曲で、
熱心にレッスンしてくださった思い出深い曲でもあります。



冒頭の写真は、ミューズの「庭」でなくて「海」ですが、まあ夏も終わりということで!



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「私の窓から出ていく」のは男か女か [コンサートのお知らせ]


私がリュートを弾き始めた頃、一番最初に練習したのは、
作者不詳の「Go from my window」でした。

このバラッドの旋律に基づく作品はダウランドをはじめいろいろな作曲家が残していますが、
今回のコンサートでは、ロビンソンによる同曲を演奏します。


IMG_4713.JPG


さて、この作品の邦題ですが、私は今まで「窓から帰って、愛しい人」と訳してきましたが、
最近「わが窓より去れ」「わが窓より立ち去れ」と(男性による)命令調のものを見かけました。

私は、女性が部屋にいて、しばしの逢瀬の後、男性を二階の部屋の窓から逃がしている、
という状況を思い描いていました。
「ロミオとジュリエット」のバルコニーのシーンのイメージです。

たとえ部屋が1階にあったとしても、窓から女性を出て行けという男性がいたとしたら、
ちょっとひどい。。。と思いますが、まあ歌詞を見てみますか。


                ***


この元歌となっているバラッドの歌詞は、多くの変形が残されていますが、
最もシンプルな形と思われるものをあげてみましょう。


Go from my window, love, go;
Go from my window, my dear;
The wind  and the rain,
Will drive you back again:
You cannot be lodged here.


私の窓から出て行って、恋人よ、さあ。
私の窓から出て行って、私の愛しい人。
風と雨とが
あなたをまた戻らせるでしょう。
あなたはここに泊まることはできないの。


Go from my window, love, go;
Go from my window, my dear;
The wind is in the west
And the cuckoo's in the nest
You cannot be lodged here.

私の窓から・・(同上)
風は西から吹き、
カッコーは巣の中に。
あなたはここに泊まることはできないの。



Go from my window, love, go;
Go from my window, my dear;
The devil's in the man
And he cannot understand
That he cannot be lodged here.

私の窓から・・・(同上)
男性の中には悪魔がいて、
理解することができないの、
ここに泊まることができないということを。


From: Songs from Shakespeare's Plays,Kines
survived in oral tradithion since Shakespeare's time.



最後の部分を読むと、泊まりたいと駄々をこねているのは男性であるので、
「私の窓から出て行って」と言っているのは女性でしょう。



著作権の問題があるので、画像は貼りませんが、
ロミオとジュリエットのバルコニーシーンを描いた絵、舞台写真はこちらをどうぞ。
バルコニーや窓辺から、落ちそうになっている男性が出てきて、笑ってしまいました。


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二人のリュート奏者、ロビンソンとダウランド [愛しのリュート達]


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トマス・ロビンソン(Thomas Robinson)の作品を取り上げます。

彼のリュート二重奏の作品は頻繁に演奏してきましたが、
ソロ作品を弾くのは、久しぶりです。
地味ながらもしみじみとした暖かさに満ちた作風です。

彼の人生については生没年すら不明ですが、ダウランドとの関連で俯瞰してみると、
ちょっと面白いかもしれません。


ロビンソンは、音楽家の父親と同様、エリザベス女王の側近セシル家に仕えていましたが、
20代でデンマークにわたり、フレデリック2世の妃ソフィーと王女アンの個人的な音楽教師となります。


フレデリック2世は1588年に崩御、息子クリスチャン4世の時代に。
デンマーク王室は優れた音楽家を他国から招聘しており、その一人としてやってきたのがダウランド。
ダウランドは、1598年から1606年の間デンマーク王室のリュート奏者を務めたとされていますが、
それについての公の記録はなく、ロビンソンがそう言及しているため、知られていることなんですね。

ちょうどダウランドがデンマークにやってきたのと同じ年、
1598年、ロビンソンがリュートを教えていたアン王女は15歳で、
スコットランド王ジェームズ6世の妃としてお嫁入り。


その5年後、イギリスでは1603年エリザベス1世が崩御し、
スコットランド王ジェームズ6世はイギリス国王ジェームズ1世を兼ねることに。
当然、その王妃アンもイギリス国王妃に!


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アンの肖像画(首の美しさを讃える言葉が残されています。そこが褒めどころって、笑。)


イギリスでアンは、芸術活動の庇護に力をいれヨーロッパでも有数の文化サロンを主宰。
(ああ、その音楽教育を施したのはロビンソンなのだ!と思うとなんだか嬉しいな。)


ロビンソンに関する情報は少なく、いつイギリスに戻ったのかも不明なのですが、
残る手がかりは、楽譜の出版のみ。
3冊目の曲集を1603〜1609年にロンドンで出版します。

リュートソロと二重奏の作品を含む2冊目の曲集「The Schoole of Musicke」は
ジェームズ1世に献呈され、献辞にはデンマークでアンに教えていたことも書かれています。
教則本でもあるこの曲集の宣伝文句としては、最強でしょう。


この曲集には「The Queen's goodnight」や「The Queenes Gigue」など
王妃にちなんだ曲名の作品がありますが、これはアンを示していたのですね。
(今まで、何回も演奏しておきながらエリザベス一世だとばかり思っていましたよ。・・・)

3冊目のシターン曲集を出版したのが1609年。
それ以降ロビンソンについての記録は何も残っていません。


一方、ダウランドは、というと、1606年までデンマーク王に仕えたのちにイギリスに戻り、
1612年イギリス国王付きのリュート奏者になったものの、
その時の国王は、ジェームズ1世であり、憧れのエリザベス1世ではなかったんですよねー。
ダウランドが晩年、イマイチだった気持ちがちょっとわかる。・・・


デンマークやイギリスでも、この二人のリュート奏者は顔見知りだったと思われますが、
距離感や関係はどんな感じだったんでしょう。
いろいろと妄想が膨らみます。



楽譜「The Schoole of Musicke」はPublic Domainとなっているため、無料で閲覧できます。




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映画「ハムレット」の演出から考えた古楽 [日々の想い]

前回ご紹介した映画「ハムレット」を見ていて感じたことを少し。

この映画は、シェイクスピアでありながら、
衣装や美術などの演出は19世紀のテイストで製作されています。


エリザベス一世関連の映画で見られたような
フリフリのえり飾りや面白いカツラの登場を期待していると、
思わぬ肩透かしをくわされてしまうのですが、
これが予想外に、とても良かったのですよ。

女性たちは床までのロングドレスを着ているものの、
男性たちは、現代のフォーマル・スーツに近い感じ。
決闘するシーンは、オリンピックのフェンシングの試合を見ているよう。

ハムレットが真剣なセリフを語っている時に、何としたことか、
私にはハムレットが「綿シャツにジーンズ」姿の青年に見えた瞬間が
少なからずあったのです。

現代人の私たちにも親近感を覚える外見の印象によって、
(原作を忠実に再現したという、最も肝心な)「言葉」は、
かえって力を持って確実にこちらに刺さってきます。

オフィーリアの狂乱のシーンに関する描写は、
現・近代の精神病院での様子(拘束着や入浴)を再現したと思われ、
他人事では済まされない狂気として迫ってきます。


登場人物は私たちの身近にいる人物あるいは自分自身のように見え、
たやすく感情移入してしまいます。
そのように演出されているわけです。

そう考えると、時代様式を再現した映画は美しいものの、
衣装や美術に目を奪われて忙しく、もしかしたら大切なメッセージを
読み取り損ねていたかも、と思い当たります。

            ***

以下は、何か特定のことに対しての批判ではなくて、自省です。


「シェイクスピアは全世界で上演され普遍的な人気を保っているのに、
同時代の文化である古楽は、なぜこれほどまでにマイナーなのか」と
ある方に訊かれたことがあります。

その時、私は全く違う視点からの返答をしたのですが、
もしかしたら、歴史的な解釈、様式にこだわりすぎてしまっているのかも、
と今回映画を見つつ思いました。

シェイクスピアの演劇では、もうだいぶ以前から、
それぞれの国の様式による、現代的な演出が行われています。
我が国ではそれこそ先に挙げた坪内逍遥もそうですし、
その最たるものは蜷川幸雄氏の演出でしょう。

シェイクスピアはそれぞれの時代の様式で消化されて、
広がり、続いてきたのではないでしょうか。

古楽は、一部分はいわゆるクラシック音楽へと吸収されていき
他方で(貴族社会と共に)一度断絶したのち復活した音楽なので
簡単に演劇と同列にはできませんが、
もっと自由な、現代人の側からのアプローチや演奏会のスタイル、
「こだわりどころの取捨選択」があっても良いかなあと思います。

演劇における「言葉」は、私は古楽においては「作品」だと考えますが、
その定義も人それぞれに自由でよいと思います。

大切なのは「こうでなければ古楽でない」とか
「歴史的にはこうだから、そうでないのは偽物」的な物言いをしている限り、
古楽はいつまでたっても消化されない、
つまり今の私たちにとって異物として胃の中に残り続けるということ。
誰が好き好んで「胃もたれ」する食べ物を食べたいと思うでしょう。

IT技術や音楽学の研究が進んで明らかになることは多く、
一方でその情報に縛られることも多いこの頃。

知識として学び続けるのは当然としても、
演奏においては、400年の時差をやすやすと飛び越えるアプローチがあるんじゃないか?
とより自由な発想で模索していきたいなあと思いました。


せめて、楽器を持っている時は、すべて忘れて無邪気に作品の世界に没頭したい。

If music be the food of love, play on ・・・の気持ちで!
(「十二夜」)



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映画「ハムレット」但しリュートは登場しない [愛しのリュート達]


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オフィーリアのシーンにリュートは登場しないとわかっているものの、
映画「ハムレット」のDVDをまたレンタルしてしまいました。


オフィーリア役にケイト・ウィンスレット、その他、豪華キャストによる作品。
原作(Q2)のセリフをカットすることなく忠実に製作したもので、
上映時間は4時間を超え、DVDも2枚組に。

今までも何回も見ていたのに、
この映画が長いことの意味が今まで全くわかっていなかったなー。



オフィーリアがどんな風にバラッド・チューンを歌うのか、
また先の論文で指摘されていた政治的危機の状況、民衆と貴族の撹乱とは何を指すのか、
など、物語のあらすじをおさらいしつつ視聴しました。

悲劇だけあって、最後は見事に全員が死んでしまいますね。
そのさっぱり感も潔くて好き。





今回は、上記の確認ポイントの他、物語の舞台がデンマーク国王の宮廷ということで、
デンマーク王室に仕えたリュート奏者、ダウランドとロビンソンのことも念頭におきつつ。

特に、私の関心はイギリス王室とデンマーク王室との関係が(政治的&心情的に)どんな感じなのか、
地図を確認すると両国には結構距離があるのですが、そこをどういう手段と経路で往復したのか、も
チェックポイントでした。

また9月25日&10月2日のコンサートでの演奏曲に、ホルボーン作「夜警」というのがあり、
宮廷の「夜警」という職業(?)がどんなものなのか、という関心もあって・・・。

夜警たちは、この「ハムレット」でも、先日紹介した「から騒ぎ」でも、
脇役とはいえ活躍するんですよね。

                
いろいろと把握するのに忙しくて、4時間なんてあっという間でした。
言葉が音として発せられるのを聞くのは心地よいです。
もちろん、観劇するのが本来の形なのですけどね。

おすすめです。

この映画を見て、古楽の演奏会についても思うことがありましたが、
長くなりましたので、またこれは次の記事に。








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坪内逍遥版「ハムレット」 [お気に入り]


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先日、オフィーリアの部分の翻訳を比較するため図書館に出かけましたが、
坪内逍遥訳の本は古いために閉架の貴重書となっていました。
それを出してもらい、特別な部屋で(司書の方の監視の下)読んできましたが、
挿絵がとても美しかったので、コピーしてもらってきました。

中央公論社が明治42年に出版したものを改訂し、昭和8年に出版したもの。
定価70銭(期間限定50銭)のラベルがありました。

前書きで坪内逍遥は
「英語がわからない日本人のために、講釈の意味も含め、
ト書きはたくさん付け加えた」と記しています。

問題の箇所は「ホレーショー心狂ひたるオフィリヤをつれて出る。」のト書きのみ。


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(挿絵が横向きになっているので、回転させて冒頭にあげました)


オフ   デンマークのお妃さまは何処にぢゃ?
妃    どうしやった、オフィリヤ?


古い日本語表記が味わい深い。(「ぢゃ」を出すのにちょっと苦労。dya でした)

そしてオフィーリアが溺れて死ぬシーン。

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もしかしたら「青空文庫」で読めるのでは・・と思ったら、
ハムレットは準備中、となっていました。


下記の本は、そういえば夫の本棚にあった。

 


この前のブログ記事では(図書館になかったので)紹介しなかった
河合祥一郎氏のハムレット。








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「オフィーリアとリュート」への追加情報をいただきました! [愛しのリュート達]


スクリーンショット 2016-09-03 17.28.53.png


「オフィーリアとリュート」の話題がTwitter上で盛り上がり、
大変ありがたいことに、シェイクスピアご専門の先生、音楽学の先生方から
追加・補足情報をいただきました。

Twitterをご覧になっていない方もいらっしゃるかとおもいますので、
ブログでもまとめておきます。
当時、リュートがどのように捉えられ位置づけられていたのかを理解する上で、
とても有益な情報と思われますので、ぜひ最後までお読み頂ければ、と思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

*偶然、今日の記事から読んでくださっている方、是非以下の二つの記事をさっと
お読みになり、ご参加下さい!

議論の発端になったのは、このブログ中の記事「オフィーリアとリュート」。
すぐに、訳者によって色々あるぞ、ということがわかり、まとめたのがこちら。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最初のブログで、私が参照した喜多野裕子氏による論文
“Let her come in” ーー『ハムレット』におけるオフィーリアのバラッド歌唱と政治的危機」
で言及されていた貴族女性がリュートを弾くということについて、
以下のような情報が寄せられていました。

まずシェイクスピアをご専門に研究されているsaebou先生@Cristoforouより












ここでフランス在住のチェンバロ奏者、ジャスミン男さん@echinodermes
いい質問をしてくださいました。















医学史の鈴木晃仁先生がブログを紹介して下さいました。




 

ここでイギリス在住の音楽学者、まつもと(な)先生  に登場リクエストの声が。
古楽クラスタではおなじみの先生で、特に「狂気」と音楽との関わりについて研究をされています。




































同時進行で、会話が続くため、順序が前後している箇所もありますが、

このようにとてもエキサイティングな情報交換が行われました。


その他、哲学や思想史からのご指摘や、

私が把握しきれなかった各種の翻訳ではどうなっているか、

あるいは実際これまで上演された演劇ではこのシーンがどのように演出されていたか、など、

それぞれのジャンルの方々の間で話題となりました。



すべての情報は私にも把握できておりませんが、時の坩堝(@emanatio999)さんが

裏古楽の楽しみ-リュートとシェイクスピア】としてまとめてくださっていますので、

こちらもご覧くださいませ。


情報をお寄せくださった皆様、「いいね」やRTをしてくださった方、読んでくださった方々、

どうもありがとうございました!


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オフィーリアはリュートを弾くのか抱くのか問題 [愛しのリュート達]


640px-Alexandre_Cabanel,_Ophelia.JPG

Alexandre Cabanel“Ophelia” (1883年)




前の記事を公開したのち、シェイクスピアのハムレットの第4幕第5場、
狂乱のオフィーリアが登場するシーンの箇所について、

・福田恆存訳では リュートが登場する、
・「ハムレットQ1」というタイトルの安西徹雄訳が出版されている、

というご教示を頂きました。誠にありがとうございます。

そこで今日は近所の図書館に出かけ、いくつかの日本語翻訳を比較してみることに。

結論から言いますと、Q1、Q2、F1という3つの版の成り立ちや相互関係、
またそれらの価値判断について、専門家の間でも意見が分かれています。

日本に限らず、これまでの翻訳家・校訂者は、
それらのうちのどれかを中心としつつも、必ず他も並行して参照し、
箇所によっては部分的に混ぜつつ翻訳をしているようです。
特にQ1はト書きが充実しており、当時の演劇の様子を示す資料として信頼できる、と
いうことで、ト書き部分のみ採用する場合が見受けられます。


               ***


さて、問題の箇所、Q1のト書きの英語は、

“Enter Ofelia playing on a Lute, and her haire downe singing”

この部分がどのように翻訳されているでしょう。


1 福田恆存訳(新潮文庫)________________

オフィーリアは狂乱のてい。乱れた髪が肩にかかり、
胸にリュートを抱きしめている。

(リュート登場! でも弾かないで抱いているだけ・・・。)


2 野島秀勝訳(岩波文庫)__________________

彼女は狂乱の体で、リュートを抱き、乱れた髪が肩にかかっている。

(リュート登場するも、これも抱いているだけ。弾いてよ・・・)

*この二つの翻訳は同じドーヴァ・ウィルソンが校訂した新シェイクスピア全集を基に
翻訳したものなので、共通性が見られます。
校訂者ウィルソンは、Q2を最も信頼するものとしつつも、
Q1とF1からも部分的に採用。(解題より)




3 小田島雄志訳(白水Uブックス)_________________

ホレーシオがオフィーリアをともなってふたたび登場。

(リュートの記述なし・・・)


4 坪内逍遥訳(中央公論社)____________________
初版明治42年、昭和8年再版されたものを参照。

ホレーショー心狂ひたるオフィリャをつれて出る。

(琵琶とでも訳されているかと期待したけど、登場せず)




ではいよいよ「ハムレットQ1」というタイトルで訳された安西徹雄訳を!
 (Q1なんだから、リュート登場するよね、ね!)



5 安西徹雄訳(光文社古典新訳文庫)_________________
(Q1ではこのシーンは第2幕第6場にあたる)

オフィーリア 登場


・・・のみ。(あれ?!)



これはいったいどういうことなのか。
本の最後、小林章夫氏による解題に言及があった。

(Q1資料のト書きが充実しているという文脈で)
・・・「オフィーリアがリュートを弾き、髪を垂らして歌いながら登場」とある。
(本翻訳では単に「オフィーリア登場」としかしていない)
ここなどはシェイクスピア時代の上演の様子を伝えるものとして、興味深いのではないか。・・・・


だったら、それを訳してくれれば良かったのにー!
と、解題の小林氏に言ってもしかたない。
安西氏は2008年に亡くなり、この本は2010年に出版されている。

安西氏はなぜこの部分を省略したのだろう。
この訳が、演劇集団「円」で実際上演するための台本として翻訳されたことを考え併せると、
「リュートなんてどこから調達してくるんだよ?」ということだろう。

それと同様に1と2の訳では「リュートを弾きながら歌う」が
「リュートを抱いて」になってしまうのも、
「リュートの演奏指導、誰がするのよ?」という現実問題なのだろうか。
いやいや、それは文学というものに対する私の認識の甘さで、
おそらくQ1でない別の資料に「弾く」ではない「抱く」とした記述があるのだろうと想像する。


これ以上は、私の手に余るので、ここまでとさせていただきますが、
オリジナル資料を比較するサイトがありましたので、リンクしておきます。


なお、私が通常参照している書籍は小田島雄志訳の白水Uブックスのシリーズと、
英語で全作品を検索できる以下のサイトです。


オフィーリアの場面で音楽的に重要なのは、
この後に出てくる「ウォーシンガム」というバラッドを歌うところなのですが、
残念ながら、この秋の私のコンサートではこの曲は弾きません。
これについても、先の論文で非常に鋭い考察がなされています。

コンサートのご案内「シェイクスピア時代のリュート音楽」
9月25日(日)15時開演@中野 
10月2日(日)15時開演@高崎 


上に挙げた書籍のデータ、貼っときますね。









 

 これ、面白そうだなっと思っています。







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オフィーリアとリュート [愛しのリュート達]


800px-John_Everett_Millais_-_Ophelia_-_Google_Art_Project.jpg

John Everett Millais (1829-1896)“Ophelia”



シェイクスピアの作品とバラッド・チューンとの関連を調べるうちに、
興味深い論文を見つけましたので、ご紹介しておきます。

論文「“Let her come in” ーー『ハムレット』におけるオフィーリアのバラッド歌唱と政治的危機」
京都大学大学院 喜多野裕子氏


『ハムレット』に狂女として登場するオフィーリアが、劇中でバラッドチューンを歌うという
シーンがいくつか出てきます。
その意味について、民衆と貴族という階層の構造から捉えた解釈がなされています。

これについて興味がある方は、ぜひ論文本文をご覧頂くとして、
その周辺情報としてリュートについての記述が他に例を見たことがないものだったので、
ここで引用しておきます。


シェイクスピアの作品にはいくつかの版あり、
普段私たちが目にする一般書籍での「ハムレット」にはリュートは登場しません。
(*文末にこの表記について、訂正があります。8月19日)
しかしながら、別の版(Q1と呼ばれる)でのオフィーリアが歌いながら登場するシーンには
「リュートを演奏しながら」というト書きがあります。

それに関する喜多野氏の指摘。

・・・当時の貴族は楽器を嗜んではいたものの、人前や公の場で演奏することは
貴族と演奏者間の主従関係を崩壊させるとしてふさわしくない行為だとされていた。

(中略)

オフィーリアの狂気がリュートの携帯につながり、階級の撹乱が強調される。
初期近代イングランドにおいては、精神的に崩壊した貴族女性が楽器を演奏しつつ
王や王妃の目前でバラッドを歌うという設定自体が衝撃的であり、
劇的効果も高かった可能性が高い。・・・


さらに、オフィーリアは貴族の女性だが、狂女としてバラッド(小謡)を歌うということで、
宮廷へ抗議する民衆の側に立つ役割を果たしており、
その階級の撹乱は「人前でリュートを弾く」という所作として演出されている、と
論が展開していきます。




リュートで伴奏しながら歌った方が音程が取りやすい、という役者の都合なんじゃないの?
と、単純に私は思ったのですが、なかなか深い意味があるんですね。



そもそも「ハムレット」ってどんな物語だったっけ、と、
上記論文を読んだ上で、もう一度、映画でおさらいすることにしました。
(続きます)



(*訂正:記事を公開した後に「福田恒存訳にはリュートが登場する」ということと、
 「安西徹雄訳のQ1が出版されている」というご教示をいただきました。
  各種、日本語翻訳本で、この箇所、第4幕第5場がどういう訳になっているのか、
  比較した記事をただいま用意しています。)



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コンサートのサブタイトルは「ため息はおやめ、女性たち」 [コンサートのお知らせ]


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アーサー・ヒューズ Arthur Hughes (1831-1915)の
「傷つけられた心」“The Pained Heart”

大型のマンドリンのようにも見える楽器は、おそらくリュートを意図したものでしょう。
19世紀なのでこれは致し方ないですね・・・。

              *****


「Sigh no more, ladies〜ため息はおやめ、女性たち」にしました。

シェイクスピアの喜劇「から騒ぎ」の第2幕第3場に挿入されている劇中歌で、
お抱えの楽師バルサザーがリュートを弾きつつ歌います。


Sigh no more, ladies, sigh no more. 
    Men were deceivers ever, 
One foot in sea, and one on shore, 
    To one thing constant never. 
Then sigh not so, but let them go, 
    And be you blithe and bonny, 
Converting all your sounds of woe 
    Into hey nonny, nonny. 

Sing no more ditties, sing no more 
    Of dumps so dull and heavy. 
The fraud of men was ever so 
    Since summer first was leafy. 
Then sigh not so, but let them go, 
    And be you blithe and bonny, 
Converting all your sounds of woe 
    Into hey, nonny, nonny.

ため息はおやめ、女性たち、もうため息は。
男心は移り気なもの
今日は海へ、明日は陸へ
ひとときも落ち着くことはなし。
だからため息はやめて、未練は捨てて
あなたは明るく笑っておくれ
嘆きの言葉はやめにして、
陽気に歌おう、ヘイ、ノンニ、ノー

歌うのはおやめ、女性たち、もう歌は。
そんなに暗く重い嘆きの歌は。
男の嘘はいつものこと
夏に青葉が初めて繁ったころからずっと。
だからため息はやめて、未練は捨てて
あなたは明るく笑っておくれ
嘆きの言葉はやめにして、
陽気に歌おう、ヘイ、ノンニ、ノー


「明るく笑っていこうよ、女性たち」というポジティブなメッセージが気に入って、
この冒頭部分をサブタイトルに引用させていただきました。



この場面の歌の前後が面白いのですよ。

楽師バルサザーが 前奏部分をリュートを弾き始めると、
傍にいたベネディックが

「なんとも妙なる調べ!魂も奪われてしまう。
奇妙なものだな、羊の腸で人の腹から魂を掴み取ってしまうというのは・」と独白。

そしてバルサザーがリュートを伴奏にこの歌を歌う、という段取り。



「羊の腸で・・」というのは、言うまでもなく、リュートの弦が羊腸を原料としていることを
暗黙の了解としています。

現代においては、この演劇を見ている観客の中で「くすっ」と笑えるのは
リュート関係者だけでしょうね。


同様の比喩で「バグパイプの音色を聴くとトイレに行きたくなる」というセリフも
どの作品だったかは忘れちゃったのですが、あったような。

IMG_4532.JPG


見逃していたケネス・ブラナー監督の映画「Much Ado About Nothing」(1993年)を
見てみましたら、この歌詞から映画が始まるという演出になっていました。

1993年なんて子育て真っ最中でこんな映画があったとは全く知らず。
当時、結構ヒットしたらしいから、
この「Sigh no more, ladies」も知っている人は知っているのか。
私は何も知らなかったけれど、サブタイトルにして良かった・・・。

もちろん、この映画での音楽は古楽テイストではなく、
リュートの代わりにギターが登場するのですが、
これはこれでメロディーの美しい曲に仕上がっています。
英米の定番の合唱曲になっているみたい。

聞いてみたい方はこちらからどうぞ。


当時の劇では 滑稽な役人・ドグベリーをケンプが演じたという記録が
残っているとのことで、そう思って映画を見ると親近感がわきました。

シェイクスピアの戯曲作品は、本だけで読んでも理解しずらいのですが、
こうして映画作品を見て、大筋をつかんでから読み直したりすると楽しいですね。





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リュートカレンダー8月の絵 [愛しのリュート達]


このところ、気温35度を超える猛暑が続いています。
暑いですねー!

せめて涼しげな格好でリュートやガンバを弾いている女性たちの絵を鑑賞して
暑さをしのぎましょう。

リュートカレンダー8月の絵は、ヤン・ファン・ベイレルトの【コンサート】です。
Jan Hermansz van Bijlert(1597 or 1598-1671) “The Concert”

Jan_van_Bijlert のコピー.jpg


頭につけているのは、豪華な羽飾り。うさぎ耳ではありません。
この時代の風俗画の衣装としてよく描かれていますね。

頭にはこんな飾りをつけているのに、身体のほうは官能的すぎる薄着(というか半裸)で、
これは一体どういうシチュエーションなのか?!と考えますに、
ここは売春宿で この女性たちは娼婦ということでしょう。

このような場での作品は当時オランダで数多く描かれ、その裏には道徳的な教訓が込められることも。
(どのような意図を汲み取るかは、ご自由に)

タイトルは「コンサート」ですが、現代でいう観客を前にした演奏会ではなく、
自分たちが楽しむための日常的な合奏風景。

手前に二人の女性奏者たち、奥の左端にリコーダーを吹く男性がいて、中央の男性は歌手でしょうか?

この絵を見ると、何とも落ち着かない感じがするのですが、
それは人々の視線がまったく交差していないからだと思い当たりました。

つまり、リコーダー奏者は歌手のことを気にしつつも、歌手はどこを見ているのやら、うわの空、
ガンバ奏者はリュート奏者に視線を送って合図をしている風なのに、
リュート奏者は 私たち鑑賞者へ熱い視線を送っていて、全く他の3人のことを気にしていない。

このアンサンブル、だめなんじゃ・・ちゃんと一緒に合奏できてるのかしら・・と
不安になる構図です。

逆に言うと、絵の世界だけで完結してなくて、こちら側へと開かれているが故に、
とても親しみを感じ、そこでの音の響きに思わず耳を澄ましたくなる、
あるいは自分も一緒にアンサンブルに参加している気分になる作品とも言えるでしょう。
その両方の世界をつなぐ役割をリュート奏者が担っているのです。


あまり高解像度の画像を見つけられなかったのですが、リュート部分を拡大、
少し露出をあげ、シャープをかけてみます。

concert-up.jpg

弦の数を数えてみると、10コース・ルネサンスリュート(1コースは単弦)。

フレットについては判別できず不明。

珍しく、テーブルに寄りかからずに、脚を組んでリュートを持っています。

左右の手の形も自然で、持っているだけでなく、実際弾いているんだろうなと思わせる
リアリティがあります。
聞こえてくるのは、g-minorの和音。


            ***

作者ファン・ベイレルトは、オランダ・ユトレヒト出身の画家で、カラヴァッジョ派の一人。

自画像(1649年作/51歳の頃)

Portrait_de_Jan_Van_Bijlert.jpg

成功した画家であり多作家でもあったのですが、ややマイナーなのか、
ネット上に画像は多くありません。

他のオランダの画家と同様、人々の日常生活の一コマを描いた風俗画を得意とし、
それらの中に楽器を奏する人々が描かれています。


            ***
では、この画家の他の作品を紹介します。

同じく【コンサート】“The Concert”と題された作品。

Jan_van_Bijlert_The_Concert-1.jpg


右端の床に、リュートが伏せて置いてあります(ガンバのおじさんに蹴られそう、ハラハラ・・・)
これも集った人々が合奏を楽しむ様子を描いたものと思われますが、
右から、ハープ、リコーダー、ガンバ、シターン(?)、ヴァイオリン。
胸を露わにした女性と男性は楽譜を前に、歌っているのでしょうか。
奥の左端の男性は、勢いよく高いところからお酒をグラスに注いでいるところです。

この状況でどんなサウンドが聴こえてくるでしょう。

そして、この作品もまた、中央のシターンを弾く女性が振り返りつつ視線を私たちへと送り、
各メンバーの視線はそれぞれ別の方向へと向いていて、絡みあうことはない構図となっています。


【音楽の仲間】“Musical Company”

Jan_van_Bijlert_-_Musical_Company_-_WGA02182 のコピー.jpg

11コース・バロックリュートかと思われます。
8コースリュートに、少しずつナット部分を継ぎ足して、
拡張したバス弦を載せてみました・・・みたいな形の糸巻き部分になっています。
この時期のオランダの絵画にちょくちょく登場するタイプのリュートです。

ヴァイリンとリュートの合奏、または左端の男性も歌手として参加していると思われるものの、
これもまた視線が合うことのない「音楽の仲間」・・・。


次に【リュートを弾く若者】“A young man playing lute”

playlute のコピー.jpg

これはなかなか珍しいポーズです。
テーブルにリュートを乗せて、中腰で立っているようにも見えます。
こちらへ向けた挑発的な視線が鋭すぎて、リュートがもはや武器のように見えるほど。

肝心のリュートの姿はほとんど見えないけれど、
ペグボックス(糸巻き部分)にユニークな特徴があります。

playlute.jpg

6コースに、拡張したバスを載せるために小さなペグボックスを継ぎ足したような形。
前の作品のリュートともちょっと違う形をしています。

長い棹の方のナットには2コース分の弦が載っているように見えるものの、
ペグはもう1セットあるようにも見えます。



次も【音楽の仲間】“Musical company” と題された作品で、最近発見されたもの。

BijlertMusical のコピー.jpg

豪華な衣装のほろ酔い気分の男性。リュートで音をとりながら歌の練習中でしょうか。
右手の仕草が、拍子をとってリズムを数えているようにも、
メロディーの抑揚を示しつつ みんなをまとめているようにも見えます。

背後にいる男性ふたりも、大きく口を開けて声を張り上げている様子ですが、
この二人、距離が近すぎでは。
この作品もまた、お互いの視線が交わることはなく、見ていて不安がよぎるものの、
3人のおじさんたちの口元には愛嬌があり、
大声で歌うことの無邪気な喜びが伝わってくる作品。


この作品は カラヴァッジョの影響を最も強く受けていた時期(1624年頃)の作品で、
リュートの描写もとりわけ精密です。

BijlertMusical-light.jpg

1コースも複弦に張った、8コース・ルネサンスリュート。

BijlertMusical.jpg

フレットはシングル巻き。
糸巻き部分に、巻き残した弦の端が 飛び出している様子も描かれています。





【音楽やってる仲間たち】“Making music company”(1629年ごろ)

musicmak1.jpg

この作品には、合奏が上手くいってそうだ、と思わせてくれる安心感があります。

両端の男性二人は別として、中央5人は一つのテーブルの方を囲み、
シターンを弾く女性とその肩を抱く男性とは見つめ合い、
ヴァイオリンとリュート(6コース・ルネサンスリュート)を弾く男女は
同じ楽譜に視線を注いでいます。

皆に右手で合図をしつつ歌っている女性と、
楽譜なんか見なくても余裕だよ、という雰囲気の左端のハープの男性は、
私たちの方へと視線を送り、合奏への参加を促しているようにも。

musicmak.jpg

ハープの男性の足元には、楽譜と共に、トロンボーンらしき金管楽器、
ガンバ、タンバリンなどの楽器が転がっています。

どの楽器なら参加できそうでしょう?(私は憧れのタンバリン一択です)

        ***

この作家は、描かれた人物たちの視線の扱いが面白いなあと思って、
ここまで作品を見てきましたが、最後に私が一番受けた作品を紹介させてください。

ギリシャ神話をテーマにしたものです。

【キューピッドを折檻するヴィーナス】“Venus chastising cupid”

Jan_van_Bijlert_-_Venus_Chastising_Cupid_-_Google_Art_Project-1.jpg

珍しいテーマだと思いますが、
人物(神様というべきか)の描写に関してはまあ、普通。


その様子を見ている右端の鳩たちにご注目!

Jan_van_Bijlert_-_Venus_Chastising_Cupid_-_Google_Art_Project.jpg

「おー、こわこわー。ヴィーナス怒ると怖いよ。逃げようぜ」


この鳩たちにすごく感情移入してしまいました。

      *****

今回の絵画作品から聞こえる音楽は・・・


    

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シェイクスピア時代のリュート音楽@東京/高崎 [コンサートのお知らせ]


北海道公演と同内容で、東京と群馬でも公演を予定しています。
夏シーズンのタイトルは「夏の夜の夢」でしたが、
秋シーズンは「Sigh no more, ladies〜ため息はおやめ、女性たち」というタイトルにしました。


【東京公演】
日時:9月25日(日)15:00開演(14:30開場)
場所:Space415(JR中野駅より徒歩12分)
料金:3000円(前売)3500円(当日)
チケットご予約:order@seikonagata.com 


【群馬公演】
日時:10月2日(日)15:00開演(14:30開場)
場所:アトリエミストラル(高崎駅よりバス、タクシー、自動車)
料金:3000円(前売)3500円(当日)高校生以下 1500円
チケットご予約:nsakura@beige.ocn.ne.jp(櫻井)



チケットのご予約申し込みの際は、お名前と枚数をお知らせ下さいませ。

詳細情報は公式サイトのコンサート情報コーナーをどうぞご覧下さい。

チラシは、北海道のニセコ町有島記念館で撮影した写真でデザインしました。
イギリスっぽい感じに仕上がりました。

CpGV7uPVYAAnQhn.jpg


いずれの会場も親密なサロン形式(少数座席)となっていますので、
お早めのご予約をお願いいたします。

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「夏の夜の夢」@小樽文学館終了 [コンサートのご報告]


前の記事の続きです。

ニセコ町有島記念館での公演を予定どおりに終えて、今度は小樽へと移動しました。

途中「ここら辺は火山の噴火口の中ですよ」と説明されて、びっくり。
まさか噴火したりしないだろうかと不安になりましたが、大丈夫。現在は休火山。

そう言われて、見渡すと地形がそのようにも見える。
こういう話は大好きなのだけれど、教養がなくてその価値とか味わいどころが
よくわからないのが 非常に悔しい。

2年前の北海道公演で訪れた余市あたりを通り過ぎ、日本海沿いを走る。

ファイル_000 (14).jpeg

一面に、青い海と空。新潟から見る日本海とも、太平洋とも違いますね〜。


会場の小樽文学館は、建物自体がレトロな歴史的建造物で、
古楽のコンサートにはぴったりの会場でした。

いくつかのお部屋があるうち、
当初はこのアーリーアメリカンなインテリアのカフェコーナーを予定していました。

ファイル_000 (20).jpeg


白いタイルのカウンターに、赤や黄色の小道具がアクセントとなっている素敵な空間です。
右の壁面CDプレーヤーに 私のCD「ふらんすの恋歌」が!(ありがとうございます!)

ところが、想定外にチケットのご予約をいただいたため、急遽、展示会場のスペースを
お借りすることになりました。

特別展「早川三代治展〜インターナショナルな知的表現者」が開催中。
子孫にあたる方が今回も(前回の小樽公演にも)ご来場くださいました。

早川氏は有島武郎に心酔していた方とのことで、
この日、有島記念館から移動してきたばかりだった私は、不思議な縁を感じました。

この展示スタイルがまた実にユニーク。(人がいるのかと驚いたよ・・・。)

ファイル_000 (4).jpeg

早川三代治氏の存在を背後に感じつつ、リュートを演奏するステージ設定に。


FullSizeRender.jpg

開場前、夕方になり、西陽のさす図書館コーナーにて。
小学校の図書館のような懐かしい雰囲気がありました。


今回、小樽は二回目だから同じお客様なのかと思いきや、
いつものごとく「リュート初体験」アンケートをすると、ほとんど全員の手が挙がりました。

終演後、お客様との質疑応答や情報交換で大盛り上がり。
小樽在住の方のみならず、札幌から車でお越しになった方もいらっしゃって、
感謝の気持ちでいっぱいです。

ご来場のお客様、主催の小樽文学舎さん、文学館のスタッフの皆様、
コーディネートしてくださった片桐仏壇店アトリエピアノさん、
どうもありがとうございました。

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翌朝、早朝から小樽港〜倉庫あたりを散策しました。
日差しは強いものの、空気は乾燥してとても快適。

レトロな雰囲気が漂う、裏通りの路地。

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坂道をのぼりおりして、ホテルの朝食を。
9時過ぎには、千歳空港へ向かう列車に乗って、帰途につきました。


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「夏の夜の夢」@ニセコ町有島記念館終了 [コンサートのご報告]


前の記事の続きです。

2016年7月23日(土)午後1時の開演にそなえ、午前中には会場のニセコ町有島記念館
到着しました。

車道から小道に入ってから記念館までしばらく車を走らせますが、
その辺り一帯が、作家・有島武郎が所有していた土地で、今もその名が地名として残っています。
田園風景がしばし続き、きれいに整えられた庭が見えてきました。

ファイル_006.jpeg

ラベンダーが群生していました。生のラベンダーを見るのは初めてかも(感激!大興奮!)

打ち合わせの後、簡単にリハーサルを終えて、庭で楽器の写真撮影。

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有島武郎に関する展示コーナーを拝見しました。
家族写真や手紙、原稿などがたくさん展示されています。
明治〜大正時代の白黒写真というのは、味があって良いものですね。

全体の展示レイアウトがセンス良く、洗練された雰囲気となっています。
私の関心は、文学作品や生涯についてのみならず、
有島武郎が小作人に農地を無償で解放したという点だったのですが、
その際に書いた文章が大きく展示されていて、これにはとても感銘を受けました。

この辺りの詳細は記念館のこのページをご覧下さい。




さて、コンサートは数日前に北海道新聞の地元版で広報されたこともあり、
80人もの多くのお客様がご来場下さいました。
掲載された記事を見て「リュートとはどんな楽器ですか?」という問い合わせの電話が
何本もかかってきたそうです。
これには担当の方も「まあ来てみてください!」と答えるしかないでしょう。

いつもリュートについて紹介トークはしますが「そういうことなら!」と一層、熱が入ります。

IMGP2624.JPG

「棹の先がこんな風に曲がっていて・・・」と話しているところ。
お客様、興味津々で、前のめりになって聞いて下さいました。

ガラス張りの会場で、背景の庭の緑が美しいですね。この日も快晴!(鳥?!)

IMGP2640.JPG

(写真は主催者の方から頂戴しました)

休憩時間や終演後も、皆さんから多くの質問をお寄せ頂きました。
嬉しいですね。



このコンサートイベントスペースは通常ブックカフェとなっており、
コーヒーを楽しみながら、本を読んだり勉強したりできるスペースとなっています。

そのカフェが「高野珈琲店」さん。
深入りでコクのある味わい。とても好みの味でした。
もし記念館を訪問なさる際は、ここの珈琲を是非!

有島記念館向け特別パッケージのコーヒー豆。作品のタイトルがついています。
(ドンレブって何?と思いましたが、ブレンドですね・・)

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ご来場のお客様、主催の有島記念館のスタッフの皆様、
コーディネートと送迎して下さった片桐仏壇店アトリエピアノさん、
どうもありがとうございました。



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麗しの山姿「羊蹄山」 [コンサートのご報告]


札幌市内での公演の翌日、早朝から車に乗せていただき、
次の公演場所であるニセコ町へと向かいました。
途中、峠を二つ越えて約2時間のドライブ。


普段、全く自動車に乗らない私にとっては、
助手席に乗ってドライブをするという体験そのものが
コンサートと同じくらいワクワクすることでした。

お天気は快晴。
思ったよりも気温は高かったものの、さすが北海道、
空気は乾燥していて爽やかです。

道中、峠のドライブインから見えた羊蹄山。

ファイル_000 (12).jpeg

別名「蝦夷富士」の名前が示す通り、左右対称のなだらかな山姿が
とても美しいですね。

ドライブしながら、針葉樹と広葉樹の分布についてや、
白樺の生息などについて詳しくお話を伺いました。
(こういう話を教えていただくのがとても好き)

ファイル_000 (17).jpeg

絵に描いたようなドライブ風景です。
本当にいいお天気だったのがわかりますでしょう?

左右には広大な畑が広がります。空も広〜い。

ファイル_000.jpeg

両側に ジャガイモや、トウモロコシなどの畑が延々と広がり、
作物が変わるたびに色が変わります。
薄桃色のソバの花が一面咲いているところもありました。

「写真を撮りたかったら、車を止めますから言ってください」と言われましたが、
今の私にそれをさせたら、次のコンサート開演に間に合わなくなるよ・・・と、
グッと我慢しました。

そして到着したニセコ町有島記念館がこれまた「ここは本当に日本ですか?」と
言いたくなるほどの美しいところだったのです。(次に続く)


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「夏の夜の夢」@カフェエスキス終了 [コンサートのご報告]

2016年7月22日、羽田空港から北海道へと。
東京は朝からザーザー降りの雨で少し肌寒いほどでしたが、
札幌は青い空が広がる快晴。暑いほどでした。

「夏の夜の夢〜シェイクスピア時代のリュート音楽」第1回目公演の会場、
カフェエスキス CAFE ESQUISSEさんは、札幌市内でもとりわけお洒落な地域、円山にあります。

文化人が集うカフェ&ギャラリーとして名高いお店で、
常連の皆様の鋭敏なアンテナのお蔭で、早々とご予約満席となりました。


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店内の壁は 深い蒼色。静謐な雰囲気が漂います。

開催中の孫田敏氏の写真展「植物微視」の作品と一緒に。
孫田様もコンサートにご来場くださっていて、
その驚きの撮影方法についてお話をお伺いすることができました!

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リュートを立てかけている仕切り棚の向こうがステージで、
手前のテーブルにお客様が着席するような会場設定。
棚の隙間から覗きつつ、リュートを弾くという面白い空間でした。

「貴族の晩餐会にお仕えする宮廷リュート奏者」の気分を味わえる
貴重な体験でした。


終演後もお飲み物をいただきながらお客様と歓談の時間を持つことができ、
和やかなうちに無事終了いたしました。

ご来場下さったお客様、カフェエスキスのマスターと奥様、
コーディネートしてくださった片桐仏壇店アトリエピアノ様、
SNSその他で広報にご協力下さった皆様、
どうもありがとうございました。

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札幌在住の作家・木村洋平さんが鮮やかな色合いの花束を下さいました。
いつもどうもありがとうございます。



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マスターご夫妻から「有機黒千石茶」をお土産にいただきました。

パッケージがお洒落です。(カフェエスキスさんは何もかもがお洒落。)

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中はこんな黒い大豆がパックになっています。
北海道有機JAS認定取得商品で、黒千石豆は国産大豆の中で生産量わずか0.2%。


お店ではホットで頂きましたが、水出しの冷茶にして。

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冷蔵庫にいれて一晩おくと、豆の香りがするお茶が出来上がります。
ほっとする優しい味です。

どうもありがとうございました!


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